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[M] 有島武郎全集 冊子体


著者: 出版者: 筑摩書房 (出版日: 1980)

所蔵情報ID: 10026904

製本後の所蔵情報ID:

本棚: 第一閲覧室 (茨女短大図書館)

貸出区分: 図書

貸出状態: 在架(利用可能)

付録を含む: いいえ

請求記号: 918.68|A 76|7

URL:

受入日: 1996年03月31日

製本後の請求記号:

製本日:

注記:

BN0028448X二つの道|も一度「二の道」に就いて|叛逆者|泡鳴氏への返事|「お目出度人」を讀みて|ホイットマンの一斷面|草の葉|新しい畫派からの暗示|内部生活の現象|クローポトキン|再びロダン先生に就て|ミレー禮讚|惜しみなく愛は奪ふ|LOVE THE PLUNDERER|「平凡人」の言禍|藝術を生む胎|云ひたい事二つ|氣分で生きて行く人|四つの事|岩野泡鳴氏に|私の母|藝術家を造るものは所謂實生活に非ず|私の父と母|想片|林檎の野|ある六月の日記|武者小路兄へ|大なる健全性へ|自己と世界|藝術製作の解放|若き友に|讀者に|二科展覽會を見て|運命と人|予に對する公開状の答|自分の劇の稽古を見て|『死と其の前後』|批評といふもの|和辻兄に|将來の新劇團に對する二三の註文|春|ブランド|往來雜記|若き友の訴へに對して|帝展の日本畫より石山氏のそれへ|イブセンの末流|本學の過去|ハムレット劇研究|衷なる人に叫べる|故田中稔氏に就いて|[「宣言休載に就いて」]|ゲオルグブランデス 十九世紀文學の主潮上卷|「惠廸寮『寮歌集』序]|ノーベル賞とタゴール|『松むし』はしがき・弔歌・終焉略記|『聖書』の權威|グレヴヰユの寺院フランソア、ミレー畫|ポール、ゴオガン|ギュスタブ、モロー|ヴヰンセント、ヴァン、ゴッホ|オーギュスト、ロダン|ポール、セザンヌ|[有島武郎著作集の讀者へ]|文章座右銘|嘗てない多作をした年|選讀の後|[有島武郎著作集の合本に就いて1]|川上滿氏の評論を讀みて|文章を學ぶ?年に與ふる『座右銘』|[有島武郎著作集の合本に就いて2]|立派な記念碑|鹿兒島の白い道|[有島武郎著作集の發行所變更就いて]|[有島武郎著作集の合本に就いて3]|[『小さき者へ』廣告文]|一日一信|有島武郎氏題言|第四版助言[『リビングストン傳』序]|書後 [或女(前編)跋]|[『或女』廣告文]|余の愛読書と其れより受けたる感銘|[『聖フランシスの完全の鏡』序]|あとがき [野生の呼聲]跋|我等生れて何を爲すべきか|書後 [或女(後編)跋]|夏の味ひ|題言|輕薄な賣名漢|改造の急を要するものは何か|生活改造は何より着手すべきか|第五版助言 [『リビングストン傳』序]|[『三部曲』廣告文]|書後[『三部曲』跋]|流血に塗れたるユニフォーム|自己の考察|ロダン先生の藝術の背景|三つの特質|純一な心もちから|人生離合の慌たゞしさ|創作雜話|生と死の對立|自己を描出した外ならない「カインの末裔」|吾が内生活の動搖|讀後感話|御獄山の中教正となつた祖母|松井須磨子の死|一切か無か|社會問題としての美術對民衆|藝術は本能的生活の發露|文學は如何に味ふべきか

検収時刻:

作成時刻: 2018年10月31日(水) 07時46分18秒 +0900

更新時刻: 2018年11月10日(土) 00時08分36秒 +0900